撮影地メモ:池袋〜板橋(その1)・池袋〜北池袋

JRと私鉄との共用踏切は全国に幾らかあるが、埼京・川越線と東武は際立っていて、北池袋駅前後と川越駅前後という競合区間の両側で4箇所も共用がある。ここはその都心側の場所。

池袋駅(JR)

【その1】

■ 堀之内踏切・東第2号踏切

・(その2)第一雲雀ヶ谷踏切・東第3号踏切

・(その3)第二雲雀ヶ谷踏切

板橋駅


↑池袋駅(東武)

■ 堀之内踏切・東第2号踏切

北池袋駅


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堀之内踏切・東第2号踏切

■埼京線・池袋方面列車
東側から 西側から
 
 
■埼京線・大宮方面列車
東側から 西側から
■東上線・池袋方面列車
東側から 西側から
 
 
 
 
 
■東上線・小川町方面列車
東側から 西側から
■池袋駅電留線

【メモ】

北池袋の脇にある踏切。JRと東武で踏切を共用しており、JRとしては堀之内踏切、東武は池袋起点からの通し番号が振られている。ただし東武は1号が既になく、廃止しても振りなおさないため、2号が最初の踏切となる。

普通車が通れる幅はあるが、東側に段差があるためか、人と軽車両のみが通行できる。

すぐ北側が北池袋駅で、北池袋駅のすぐ北側にも3号踏切があるので、よくもまあキッチリ200m収まったな、という感じ。もし200m入らなかったら駅の廃止もあり得たのでは?と思わせる。すぐ南側は池袋駅電留線の端部で場所がないし。

それはさておき、ホームの端が目の前なので西側から上り列車は撮影が難しい。というか、どの位置からどの向きも間に架線柱が立つなどイマイチで、西側から東武の下りぐらいか。ただ東武の下りは清掃工場の煙突とからめることができ、池袋っぽくなるかも。

・備考:1号踏切は1948年や1960年代の航空写真を見ると、池袋駅と池袋大橋との間、山手線が赤羽線の下をくぐる少し南側にあったらしい。東口の池袋六ツ又交差点から真西に向かって線路で途切れる道があるが、これと線路対岸にある池袋大橋の西側降り口に今もある交差点とを結んでいた模様。池袋大橋の東側は池袋六ツ又交差点で、代替というのがよく分かる。池袋大橋のWikipediaには「第二鎌倉踏切」の代替として開通と書かれているが、これはきっと国鉄側の名称。この踏切は共用だったようなので、やはり両側から名称があり、東武側は「東第一踏切」が掲げられていたのではないだろうか。というのも、赤羽線の旅客列車は1983年まで現在の8番線(旧・4番線=池袋ってホーム倍増してるのね)から電留線に出入りする線路を単線で発着し、踏切付近も東武に並走していたようだからだ(踏切付近で複線になり、さらに現在の3・4番線から埼京線に至る貨物用連絡線が山手線を跨いだところで合流)。なお、この踏切では東武・赤羽線、山手線、山手貨物線が並び、山手線だけ堀割で立体交差だが、踏切としてはひとつ扱いだったようだ(第二というから、赤羽線側と山手貨物線側とで第一・第二なのかと思ったら、第一はもっと大塚寄りにあったらしい)。ただし古い写真には赤羽線の通過を待つため山手貨物線の上にまで並ぶ車列が写っているものがあり、踏切の遮断は山手線を跨いで別々だった模様。それにしても写真は車の量が多い。池袋北口を東西に行き来できる最初の車道で西側が交差点、しかも横の駅は池袋でまともに開かないときては、きっと常に大渋滞していたか、初めから避けるレベルだったのではないだろうか…池袋大橋は1966年11月開通とあり、戦後20年も使ってたのは意外。

■東側から

池袋方向 川越方向
 
 

■西側から

川越方向 池袋方向

↓東側と西側で掲げられる名称が異なるのはJR・東武共用踏切の特徴。管理も別々っぽく、警報音が異なる。

↓駅から踏切へは西側の路地から行ける。電柱が真ん中に立ってるので、もともとはもっと狭かったのだろう

↓東側の段差。もう少し緩くできそうなものだが…

↓駅の脇に踏切跡っぽい場所もあったが、これは違うらしい


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