軽い気持ちで近鉄大阪線の旧・東青山駅を見にいったものの、途中でガケ崩れによる道の分断に遭遇。やむなく山の斜面を高巻きし、ガケ崩れの上を乗り越えて向こう側に復帰することに成功。そしてその先に、ついに目的地が見えてきたのでした。
【東青山シリーズ】
ということで、斜面を慎重に降りて道路に復帰して、見えてきたのは…
けっこう広い、広場のようなものが見えてきました。ここが駅跡のようです。
道路は駅跡より2mほど高くら道路からは駅跡に向かって獣道のような徒歩道が降りていました。
ちなみに道路のカベ側にはここも登り降りに使えそうな斜面が。
それはさておき駅跡に降ります。駅入口にあたる部分はシダ植物が繁茂していました。
そしてその向こうに…あれが有名なホームの遺構!
乱雑に散らばる枕木?と霧の中に佇む木。
そしてこちらがホーム。これは南側のホームで、島式ホームだったそうです。
撮影してる付近に構内踏切があり、左手画面外に駅本屋があったらしいのですが、視界が悪いのもあって本屋の跡はよくわかりませんでした。
一番南側の路盤に生え始めた樹木。
廃線後半世紀近く経過していますが、線路部分は全体的にバラスト敷きが残っているためか、時間の経過の割に草木の成長は少なめです。
同じく南側の島式ホーム。ずいぶん狭いような気がします。
このホーム、右側には伊勢方面から大阪方面への線路があり、左側には大阪方面への折り返し線となっていたそうです。青山高原へのハイカーを載せた団臨とかがあったのでしょうか。
こちらは2つあるホームの中央から撮影。左が上掲の大阪方面ホーム、右は大阪方面から伊勢方面へのホームだそうです。特筆すべきは両ホームの間隔の広さ!明らかに線路が3本は入る幅があります。
上下ホームの線路とは別に通過線があったのだろうかと考えていましたが、帰宅後に当時の写真をネットで探したところ、特にそのようなものは無かったようです。バラストも敷いてあるし、計画はあったのではないかとは思うのですが。あるいは、大阪方面へのホーム幅を狭めたような。
北側のホームはガッシリとした作りで、上は砂利が苔むしていました。
右にあるコンクリ塊は架線柱を建てる基礎でしょうか。
北側のホームから見る南側のホーム。
枕木と廃レールを使用しているため、華奢に見えます。
下りホームのホーム端は枕木のような木材で補強されていました。そのおかげか崩れていない部分がおおく残っています。
一方で反対側のホームは、写真中央上で途切れていました。ただ残骸が無いのが不思議で、撤去されたのでしょうか?
北側のホームは山の斜面に近接しており、部分的にこのようなコンクリの擁壁工と鉄骨を使った落石避けが設置されています。
また下りホームも上りホームと同じような場所で途切れていました。実際にはこの先にもあったようなのですが。
ホームが途切れた部分から伊勢方向を見ての両ホーム。
中央のコンクリ塊も架線柱を建てた基礎だったようです。
こちら有名な謎の構築物。駅跡を横断する形で、コンクリが山形に築かれています。中央の壁のようなものはホームの線路側を担っていた壁面にも見えます。明らかに線路のレベルとは支障しますので、廃止後の工事でしょう。ネットによると垣内川のための水路工事によるものらしいです。
この中央の壁がホームの一部だとすると、奥の大阪方面ホームとは延長線上で合致しない気もします。奥に残るホームがやはり当時より幅が狭くなっていると考えるには、ホーム上に白線のタイルがあって不思議なのですが。いったいこの食い違いはなに…?
水路工を越えると、またホームの遺構がありました。やはり工事のために撤去されたと考えるべきでしょうか。
そうだとすると、工事部分からだいぶ離れたところまで取り壊したな、という印象もあります。
左側が水路工です。山形に盛り上がっているのがお分かりでしょうか。そして、その南側には垣内川の水路が見えました。ここに水を流しているというのはなるほどというところですが、それにしてはホームの微妙なズレも気になります。
この水路工の近くには、車が上がれる幅の舗装路が南側に登っていっておりました。これは、こちらもまた有名な廃変電所跡に登っているとみえます。
【東青山シリーズ】