「そろそろ、またどっかいきません?」
2月上旬、そう声をかけて来たのは同僚のT氏。彼は、私が雑談で「山さ行かねが」を勧めて以来、廃線・廃道あるいは酷道などの類にハマってしまった被害者。ハメてからは年に2度ほど「ツアー」と呼ばれる探訪に赴くのが恒例で、京都大学演習林軌道、愛宕山鋼索鉄道跡、あるいは百井別れや石榑峠などの「探検」に行っているのです。
といっても所詮は「山行が」の真似事であり、ライトな「探検ごっこ」を楽しむだけ。しばしば「ゲスト」を加えることがあるものの、ほとんどはT氏と最初に日時を設定するので、半分くらいは2人で出かけることになります。社内で二人だけの「部活ごっこ」。
この「部活ごっこ」、「部長」は年長のT氏と勝手に考えていますが、行き先・ルート設定は私におまかせ。私が知っている中から、あるいはネットで調べてチョイスしています。
今回は自分のブログのネタ欲しさという邪な考えもあり、ある場所を提案することにしました。
その行き先は、「近鉄大阪線 旧・東青山駅跡」。
提案即決でした。
【東青山シリーズ】
近鉄・旧東青山駅。青山越え単線区間での行き違いのために設けられた秘境駅。
近鉄大阪線の西青山〜東青山~垣内東信号場は1975年まで単線で、西青山・東青山の両駅もそれぞれ別の場所にありました。旧・西青山駅は現在の西青山駅から国道沿いに山を遡った乗馬クラブがある場所にあったそうです。秘境駅には変わりないですが、国道沿いという立地を考えれば比較的訪れやすいということもできます。
一方で旧・東青山駅。こちらは国道から外れた山中の谷あいにあり、当時から周囲に人家はもちろん、林道レベルの道しかなかったようです。
元々は近鉄も信号場のつもりだったようですが、4kmほど離れた初瀬街道・垣内宿の集落から要望があって駅になったそうな。台湾国鉄の枋野駅のような感じなのだろうかと思いますが、時期によっては青山高原へのハイカーで大いに賑わったらしいですね。
しかし総谷トンネル事故によってこの単線区間を複線の長大トンネルで付け替える計画が前倒しされ、1975年に新青山トンネルの開通によって現在地への移転となりました。
下の地図の右端に現・東青山駅がありますが、旧駅は全く離れた場所、ほぼ中央の山中にあります。
拡大したのがこちら。
なんと上空からでもホームが残っているのがわかります。
そして上の地図では、周囲は緑だけであること、しかし道路が1本伸びていることはわかります。
YouTubeにはバイクで訪れた展望動画などもあり、そちらで行程を確認しました
(が、それだけに状況の変化にあとで驚くことに…)
ルートとしては、国道165号の「垣内」交差点から垣内集落を抜ける形。
下の写真の中央やや右下に「リベラルパーク青山」という謎のキャンプ場兼レストランがあり、ここを目指します。
道を右折して橋を渡ります。すぐ施設があるので、素通りします。ストリートビューの車はここまでしか入っていません。
実施日は2019年3月10日。いろいろ「ゲスト」を誘っていましたが、このブラック企業、日曜だというのにこの週だけ駆り出される人ばかりで、結局いつもの2人旅に。
針インターチェンジの廃ランプ跡や伊賀鉄道廃線跡、西青山駅などに寄り道しつつ、上のストリートビュー終着点に着いたのがちょうど13時。天気は朝からドン曇りでしたが、西青山駅付近では大粒の雨、国道の青山峠越えのさいには速度を落とさざるを得ないほどの濃い霧で、動向に暗雲が立ち込めます…
しかし予定通り垣内交差点で集落内を抜ける道に入る頃には雨が小ぶりに。この道から曲がる場所を探す最中、いったんここに入り込みそうになりました。ゲートで塞がれていて、「マジか!車で行けないのか!」と思ったものの勘違い。これは初瀬街道の古道のようで、目的地はもっと奥でした。
更に奥に進むと「リベラルパーク青山」を発見。こんどこそ曲がります。
「リベラルパーク青山」の横を通るとき、軽トラと行き違い。この先に車を置くポイントは想定していましたが、どうやらどこかまでは車で入れること、転回できることは確定。軽トラのおっちゃんが何か言っているようでしが、よく解らず…
道は途中まで舗装されており、普通乗用車なら問題無いアップダウンのそれほどキツくない道が1kmほど続きます。
車を置いた地点から北方向を向かって撮影。
天気は心配の種ですが、雨がやんでくれて、ここまでは順調というべき!いよいよ行きたかった旧・東青山駅が手の届くところに!
しかし、おっちゃんはどうやら大問題を教えてくれていたらしいことが、ほどなくして判明します。
【東青山シリーズ】
[ad#ad1]